急性骨髄性白血病との闘い(3) 再発

急性骨髄性白血病の再発

 

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維持療法

私は急性骨髄性白血病を患いましたが、病院で化学療法を受けたことにより寛解に至ることが出来ました(4月に入院して8月に退院)。詳しい内容は

急性骨髄性白血病との闘い(1) 発病 - peitanyan’s diary

急性骨髄性白血病との闘い(2) 入院・治療 - peitanyan’s diary

をご覧ください。

 

病院を退院した後は再発のリスクを下げるためにその年の11月から次の年の10月まで維持療法を1年間続けることになりました。

 

維持療法とは5日間連続して弱めの抗がん剤を体内に投与する治療です。この治療は1ヶ月ごとに1回行い、1年かけて計12回の治療が行なわれました。維持療法は日帰りか入院かを選択することができました。

 

維持療法で用いられる抗がん剤は、寛解導入法や地固め療法で用いられる抗がん剤と比べると副作用は弱いとの説明を受けていました。そのため、最初は日帰りで治療を受けていたのですが、私の場合は食欲不振や吐き気や、怠さなどの副作用が強く出てしまいました。

 

自宅から病院までは距離があり、電車やバスを使用して病院まで行っていたのでその移動だけでも体に負担がかかりました。そのため、私は日帰りでの治療をやめて入院して維持療法を受けることにしました。

 

 

治療しながらの学生生活

私は急性骨髄性白血病の治療のため高校を留年していたので、4月からは維持療法を受けながら高校へ通うことになりました。高校の友達はもう既に卒業してしまい、年が一つ下の生徒と仲良くやっていけるか不安でした。

 

しかし、高校で部活をやっていたこともあり私の後輩が他の生徒との橋渡しになってくれたおかげで友人ができ、その学年に馴染むことができました。のこ維持療法を受ける週は学校を休み治療に専念することになりました。

 

学校の授業に遅れないように入院中に勉強をしたこともありましたが、抗がん剤の副作用で気分が悪くなるため全く頭に入ってきませんでした。結局、治療後の副作用が収まった後に勉強して遅れを取り戻すようにしていました。

 

体の異変

10月の維持療法を終え、1年間の治療を終えることができました。その後は勉強に集中することができ、受験対策を進めていきました。そして、センター試験まであと1ヶ月と迫っている時期でした。

 

高校の帰宅中に突然周りの音が聞こえなくなり、その症状が数秒間続いた後めまいと耳鳴りが起こり始めました。めまいと耳鳴りはすぐに治りました。貧血とは違う感じのめまいでした。このときは寝不足が原因かもしれないと思っていました。

 

年が明けて、受験日を迎えました。そしてその試験中のことでした。また以前と同じ症状が起こりました。しかし、そのときは以前の症状よりもひどくめまいと耳鳴りがなかなか治りませんでした。

 

それから数日後、朝目が覚めてテレビを見たとき左目がぼやけて見えることに気付きました。コンタクトレンズの度数を変えたばかりだったので度が合わなかったのかと思いメガネ屋の眼科で再び度数の調整をしてもらったのですが、「今の度数で問題ないよ。」と眼科医の診断を受けました。

 

ウォーキングをしているときに瞼がピクピクと痙攣してしまい、それがなかなか治らず一日中痙攣していました。また、お風呂に入ると耳鳴りがして頭部の側頭部が痛くなるような症状がでてきました。さらに目を上下左右に動かそうとすると、耳鳴りと目眩が生じました。

 

白血病の再発

上記のような様々な症状が出てくるようになり、ついに左目だけ視界がぼやけてハッキリと物が見れなくなりました。私はこのとき、とても不安でしたがこの症状が白血病の再発とは思っていませんでした。

 

目の症状だったので目に何かしらの異常があるのかと思っていました。なので、いつもかかっている総合病院の眼科で診察を受けました。

 

そのときに診察を受けた眼科医に物がぼやけて見えることやひどい頭痛がすること等を説明したのですが、その日は予約がいっぱいで検査が出来ず、翌週に検査をすることになりました。

 

しかし、その眼科医に付いていた看護師の方が私の症状を聞いて、血液内科の私の主治医に連絡を入れてくれました。その看護師の方は、私が急性骨髄性白血病と診断されたときに主治医に付いていた看護師の方でした。

 

おかげで主治医の診察を受けることができました。私の症状から緊急性があるとのことで、すぐに頭部C Tの検査を受けることになりました。その結果、頭部に腫瘍があることが分かりました。

 

主治医からその腫瘍は白血病細胞の可能性があると告げられました。そこで、背中に針を刺して脊髄液を採取し検査した結果、骨髄液の中に白血病細胞が確認されました。残念ながら白血病の再発が確定してしまいました。

 

再発が確定したときはかなり落ち込みました。これまで1年以上時間をかけてやってきた治療は一体何のためだったのかと悔しくて仕方がありませんでした。

 

次回は、再入院したときの治療について記したいと思います。

 

 

 

 

 

 

急性骨髄性白血病との闘い(2) 入院・治療

入院・治療

 

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治療方法

私は急性骨髄性白血病M4と診断され、数種類の抗がん剤を投与する化学療法を受けることになりました。白血病が発病したときの記事は急性骨髄性白血病との闘い(1) 発病 - peitanyan’s diaryをご覧ください。

 

私の急性骨髄性白血病の治療ではこの化学療法を複数回行って治癒を目指すことになりました。まず、第1の目標は化学療法による抗がん剤投与により寛解という状態にすることでした。この化学療法を寛解導入法といいます。

 

寛解とは骨髄中の白血病細胞が全体の5%以下となり、白血病の症状が現れない状態をいいます。この寛解の状態がずっと続けば問題はないのですが、そのまま放置してしまうとすぐに白血病を再発してしまいます。

 

そこで白血病の再発のリスクを下げるため、地固め療法という化学療法を行います。地固め療法とは、まだ体内に残存している白血病細胞を殺すために抗がん剤を投与する治療法です。私の場合はこの地固め療法を3回繰り返して治療しました。

 

1回の化学療法に要する治療期間は約1ヶ月となります。まず約1週間かけて抗がん剤を体内に投与します。投与後、数日で白血球の数が減少し免疫力が下がるためウイルスや細菌に感染しないように準無菌室に入ります。

 

準無菌室には移動式の大型空気清浄機が設置されており、室内は常に清潔な空気に保たれています。白血球が一定の数まで増加するまでは準無菌室の中で生活することになります。増加するまでの期間が約3週間となります。

 

私の場合は化学療法を計4回行ったので外泊も含めて入院してから退院するまでに約4ヶ月半の期間を要しました。その後は維持療法を1年間かけて行ったですが、この話については急性骨髄性白血病との闘い(3) 再発 - peitanyan’s diaryに記したいと思います。

 

 

治療結果

私は幸いなことに寛解導入法で寛解の状態にすることができました。地固め療法も順調に進めることができ、抗がん剤による合併症を起こすこともなく治療を終えることができました。

 

私は4月に入院して8月に退院することができました。しかし、この期間学校を休んでしまったため出席日数が足りなくなり留年が決まってしまいました。高校を辞めるか続けるか悩みましたが、3年生であったことや高校の担任の先生の後押しもあり高校を続けることにしました。

 

 

入院生活の中で辛かったこと

 

抗がん剤の副作用

私が入院生活で一番印象に残っているのは最初に行った寛解導入時の化学療法になります。その化学療法で初めて抗がん剤を使用したときの副作用のつらさが今でも忘れられません。

 

化学療法ではガン化した白血病細胞を殺すことができますが、正常な細胞も殺してしまうので高熱がでたり、髪の毛が抜けるという副作用が生じました。他にも食欲不振、吐き気が生じて2、3日間何も食べられない時もありました。

 

中でも自分自身の髪の毛が抜け落ちたときはショックでした。「自分はガン患者なんだなぁ」と改めて実感する瞬間でした。「なんで自分がこんな目に合なければならないのか」と苛立ったり悲しくなったりとどうしようもない気持ちになりました。

 

食事

次は食事についてです。化学療法で白血球の数が減っているときは体の免疫力が下がっているので、生ものを食べることが出来ませんでした。なので、加熱したものしか食べることができません。

 

病院の食事にはさらに雑菌が入らないように全てのお皿にラップがかかっていました。なので、この病院食はラップ食と呼ばれていました。私はこのラップ食がとても嫌いでした。

 

化学療法を受けているときは副作用で舌の味覚が弱くなります。それに加えてラップ食はとても薄味なので食べても何の味もしないのです。なので、私は

味の濃いカップラーメンをよく食べていました。他にも母親に唐揚げやチャーハンを作ってもらい食べていました。

 

ラップ食が嫌いだった理由としてメニューのバリエーションが少なかったことも理由の一つです。しかし、現在では食事の制限が緩くなり食事のバリエーションも広がってきたと治療中にお世話になった看護師さんが話していました。

 

骨髄穿刺

白血病の診断をするときは骨髄穿刺という検査を行います。入院中も1回の化学療法が終了して白血病の数が増加する度に骨髄穿刺を行います。増加した白血球が白血病細胞ではなく、正常なものであることを確認するためです。

 

この検査は独特の痛みを伴うため、私はとても苦手でした。医師の先生から「明日、骨髄穿刺の検査しようね。」と告げられると、私はその夜検査に対する不安で眠れなくなるぐらいでした。この不安は上記の痛みの不安もありましたが、白血病が再発しているかもしれないという不安もありました

 

しかし、検査が終わって主治医から何の異常もない事を聞いたときは、その不安は一瞬に消え去り、安堵して主治医や家族と一緒に喜んだことを今でも覚えています。

 

 

入院生活で役立ったもの

ウエットティッシュ

白血病の治療中に注意しなければならないことは、細菌やウイルスに感染しないことです。そのため、身の回りを清潔に保つことが重要でした。私は何か物を触ったりしたら必ずウエットティッシュで手を拭くようにしていました。

 

白血病の治療中は免疫力が下がるため、細菌やウイルスの感染により熱が出やすい状態になります。私の場合、高熱が出てうなされているときは氷を口に含ませるだけで気持ちが楽になりました。

 

携帯ゲーム機、マンガ

抗がん剤投与後、白血球の値が下がり上がってくるのを待つ期間はどうしても暇になる時があります。免疫力が低い状態であるため、準無菌室から出ることができず患者同士で話をすることもできません。

そのようなとき、携帯ゲーム機やマンガはストレスを一時的に解消してくれました。

 

 

入院中の支え

入院した日の翌日の朝に窓を眺めると学生達が歩いて登校していました。それを見て私は「昨日まで自分も普通の高校生だったのになぁ。」と病気になってしまった現実とのギャップを大きく感じていました。なかなか現実を受け入れることが出来ない状態が入院当初ありました。

 

そんな中、看護師さん達が度々訪ねてきて「何か話したいことある?」「今悩んでることある?」と話しかけてくれました。私は頭の中でモヤモヤしていた事を看護師さんとの会話の中で吐き出すことができました。この看護師さん達との会話が入院中の苦痛を和らげてくれたと思っています。

 

 

財務諸表論に合格できなかった理由

財務諸表論といえば税理士試験の中で他の科目と比べると合格率が高く、初めて税理士試験を受験する人のうち多くの人が選択する科目です。

 

私は1年目、2年目の財務諸表論は不合格でしたが、3年目の試験で合格しました。ここでは1年目、2年目が不合格になった理由とそれに対する改善点を記したいと思います。

 

財務諸表論は理論50点、計算50点で評価される科目です。なので、理論と計算それぞれに対して対策を講じる必要がでてきます。

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不合格になった理由

  • 1年目

理論の全ての論点をバランス良く暗記していなかったことが原因でした。そもそも理論の学習時間が不足していたこともあり、全ての論点について完全に暗記する事が出来ていませんでした。

 

しかも「過去問ではこの論点が出ているから今年はきっとこの論点は出ないだろう。」とヤマを張った勉強をしていたのです。

 

そして、その年の試験では出題されないと予想していた論点が実際の試験に出題され、案の定問題を解けずじまいでした。

 

他にも時間配分の点で問題がありました。税理士試験では制限時間以内に分からない問題は飛ばして、分かる問題を率先して解いていかなければ合格できない試験です。

 

それにも関わらず、初めての試験ということもあって分からない理論の問題に多くの時間を費やしてしまい、計算の時間を削ってしまいました。

 

そして、計算でも分からない問題に時間を費やしてしまいました。当然結果は不合格でした。その年は税理士試験は甘ったるい勉強では全く通用しない試験であると思い知った年でした。

 

  • 2年目

理論の試験問題から解答に結びつかせる事ができなかったことが大きな原因でした。理論については1年目の反省から全ての論点について完全に暗記して試験に臨みました。

 

しかし、試験問題を読んでも解答できない問題が多く「あんなに理論を勉強したのに、、、」と気持ちが焦るばかりでした。

 

試験時間も刻々と過ぎてしまいます。1年目の教訓として分からない問題は飛ばすように1年間トレーニングしてきました。

 

そして最終的に私は「きっと合否に影響しない問題だから飛ばして大丈夫!」と判断して残りの時間を計算に重点を置いて解答しました。しかし、その判断が誤っていました。

 

数日後、自己採点をしてみると、「あれ?この問題の答えって暗記してたのに、、、」と暗記していた内容であるにも関わらず問題に解答出来ていなかったのです。

 

そんなバカなことがあるかと思うかもしれませんが、税理士試験のような国家試験は問題を読みにくく理解しにくく作成します。なぜなら試験は受験者を落とすために行われるからです。

 

他にも自分に焦りがあった事も不合格の原因の一部です。冷静であれば時間を少し理論に当てて解答できたかもしれません。この年は計算はボーダーを上回りましたが、理論がダメで不合格となりました。

 

改善した点

以下の事項について改善しました。

・時間配分の管理

・理論スケジュールを作る

・計算の効率化

・模試を2回以上受ける

 

時間配分の管理

財務諸表論は理論と計算から出題され120分の試験時間があります。基本的には理論30分〜40分、計算80分〜90分の時間配分で解答します。

 

私はTACの通信講座を受講していたので財務諸表論を勉強する場所は自宅でした。本当はTACの学校で緊張感を感じながらテストを受けるのが望ましいのですが、私の家は田舎にあるため自宅でテストを受けていました。

 

その際に気をつけていたことはテストを受けるときは必ず時間を測ることです。テストを理論から解き始めても計算から解き始めても問題はありません。ちなみに私は理論から解いていました。

 

私は理論から解き始めて、分からない問題が残っていたとしても必ず35分経過したら計算の問題に切り替えるようにしていました。ただ、計算の問題が大門2構成の場合は理論を30分で終え、計算の時間を多めにとるようにしていました。

 

以上のように120分の時間を測ってテストを受けるようにしましょう。本番の試験を想定して毎回テストを受けることが重要なのです。

 

理論暗記スケジュールを作る

私は理論暗記を進めていく上で スケジュールを作って進めていました。税理士試験は8月の上旬に行われます。

 

私は1月〜4月までに全ての理論を1周できようにスケジュールを作成し、5月〜7月までは全ての理論を5周できるようにスケジュールを作成しました。理論の暗記方法は別の記事に記載していますのでご参照ください。

 

重要なことは無理のないスケジュールを作ることです。作成の際、一週間のうち1日は調整日を作って

おくと安定した理論暗記が可能となります。

 

調整日には暗記が遅れてしまっている理論の暗記、スケジュール通り理論暗記が進んでいるのであれば休日にしてストレスを解消してもいいと思います

 

計算の効率化

計算は解き方を手順化して問題を解きました。以下に私が計算の問題を解いたときの手順を記します。

 

  1. 貸借対照表の勘定科目にざっと目を通す。
  2. 勘定科目に賞与引当金仕入れ値引など処理が出来るものがあったら先に処理しておく。
  3. 下書き用紙に問題の中で複数回出てくる勘定科目のT勘定を書いておく。例えば現金預金、売掛金、買掛金、消費税など。(他の勘定科目については直接貸借対照表、解答用紙に書き込むようにする。)
  4. 問題の中で単独で拾える論点から問題を解いていく。例えば固定資産、有価証券、退職引当金社債、税金など。
  5. 最後に現金預金、売上関連、仕入関連などを解く。

 

以上のように手順化してやる事を明確にしておくことで解答時間を短縮することができます。

 

模試を2回以上受ける 

私は2年目の試験で理論の問題から解答に結びつけることができなかったことを上記の不合格になった理由で記しました。

 

私はTACの通信講座を受講していたので模試もTACの模試を受けていたのですが、模試の理論の問題はTACの理論テキストをベースに作成されるため比較的に問題が理解し易いのです。

 

そのため、本試験の問題に対応するために他校の模試も受ける事をお勧めします。実際に私は大原の模試も受けていました。

 

 

 

税理士試験68回 簿記論不合格でした、、、

4年連続の簿記論不合格でした。自己採点ではボーダー越えをしていたので今年こそはと思っていたのですが、、、 自己採点が甘かったのかなぁ、、、

というか自分が自分に甘いんだろうなぁ

本当に自分が嫌になりますー_| ̄|○

 

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でも落ち込んでいてもマイナスにしかならないので来年こそは絶対に簿記論プラス消費税を合格するぞ‼️と自分を奮い立たせてますー。そして、自分を戒めるためにも今日からブログを書こうと決意しました‼️

 

今日からまた来年の税理士試験へ向けてスタートでです。まずは何が自分に足りなかったのか検証しなければいけませんねー。今日はもう一度試験問題を見直してAランク問題が正確に拾えているか確認したいと思います。

 

1月からの予備校の利用についても今年はTACと大原のどちらにするか若しくは利用しないか12月中に考えないといけませんねー。過年度のテキストと問題があるから簿記論については5月からの直前対策だけでもいいかもしれないなぁ。

 

これからのことを考えると税理士試験だけでなく、仕事、自分の病気、結婚など向き合わなければならない事が沢山あります。一つ一つ問題を解決して前に進んでいきたいと思います。

 

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税理士については実務経験も必要だから最低でもあと3年で必ず税理士になってやるぞぃ‼️

 

 

 

 

 

 

税理士試験 財務諸表論にこうやって合格した

財務諸表論 は税理士試験の中でも合格率が他の科目と比較すると高い傾向にあり合格しやすい科目と言えます。よって、税理士試験の受験者の多くは最初に財務諸表論を受験する人が多い傾向にあります。 

 

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財務諸表論は理論50点、計算50点の配点で行われる試験です。私はTACの通信講座を利用して財務諸表論に合格することができました。


私がどのような勉強方法で合格したかを紹介していきたいと思います。

 

 

理論の学習方法

勉強に使用した教材

財務諸表論の理論問題は大問2問が出題されます。理論に費やす時間は30分〜40分が目安となります。私が理論の勉強に使用していたテキストはTACの理論テキストと理論暗記の確認に使うポイントチェックの2冊でした。

 

5月からはTACの直前対策講座が始まり、直前対策テキストも上記の2冊にプラスして使用しました。この直前対策テキスト1冊には理論と計算の両方の内容が含まれています。しかし、理論の内容はほとんど前述した理論テキストに書かれている事と同じです。

 

ただ、理論テキストには載っていない応用理論が載っているため、その部分だけを覚えるときは直前対策テキストを使用しました。なので、使用したテキストは次の3冊になります。

・理論テキスト(主に使用)

・ポイントチェック(苦手な論点の確認のみ)

・直前対策テキスト (応用理論のみ)

 

1月から4月までの期間は主に理論テキストを使って勉強していました。その中で不安のある論点をポイントチェックを使って確認していました。5月から試験日までは、理論テキストと直前対策テキストを使用して勉強しました。

 

理論の暗記方法

理論の暗記方法は人によるかもしれませんが、私の場合は文章を読んで暗記しました。覚えにくい部分ついては実際口に出して文章を読み、それを4,5回繰り返して暗記しました。

 

理論の覚えるペースですが、1月から4月中旬までの期間は各論点(企業会計原則、リース会計など)を一週間で大体2つ暗記(各論点のボリュームによる。)するペースで進めました。4月中旬までには理論テキストを1周し終えました。この時期は一度覚えたテーマについて特に復習などはしていませんでした。

 

しかし、人間誰でもそうですが復習しないと覚えたことは忘れてしまいます。そこで4月中旬から税理士試験前日(8月上旬)までは、これまでに覚えた理論を脳に定着させる作業が必要となります。

 

また覚え直すのは面倒だと思いますが、これまでに全ての理論を一度暗記しているので、2回目に覚え直すときは1回目に覚えたときよりも早く覚えることができます。

 

理論テキストを2周目するときは1周目で覚えたペースよりも早く覚えます。私は2周目に暗記するときは4日で2つの論点のペースで覚えました。このペースで暗記すると大体1ヶ月半で全ての理論を終えることができます。

 

そして、3周目は1日1論点、4周目は1日2論点と1回で暗記する量を増やしていきます。5,6周する頃には全ての理論をしっかりと脳に定着させることができます。

 

計算の勉強方法

使用した教材

財務諸表論の計算問題は貸借対照表損益計算書の作表問題が出題されます。計算に費やす時間は80分〜90分が目安となります。

 

私が計算に使用していた教材はTACの通信講座で定期的に配布されるテスト一式でした。私はTACの通信講座で簿記論も受講していたため財務諸表論の計算はほとんど簿記論の教材で事足りました。

 

しかし、財務諸表論特有の科目名や表示方式、注記についてはポイントチェックを使って勉強しました。

なので、使用した教材は次の2点になります。

定期テスト

・ポイントチェック

 

計算の勉強方法

TACの通信講座では週に一度120分のテスト(理論を含む)がありました。重要なことはテストを受けた後に採点だけで終わらせないことです。間違えた問題があるならばなぜその問題をを間違えたのか検証することが重要になってきます。

 

私の場合は間違えた問題毎に間違えた理由をポストイットに書いて机に貼っておき、同じミスをしないように対応策を考えました。例えば間違える理由として以下のような理由があります。

・数字の転記ミス

・問題の読み飛ばし

・その論点を理解していない

・時間が足らない

・電卓のたたきミス

 

ミスした問題の間違えた理由が分かったら同じミスをしないように対策を講じます。理由が数字の転記ミスであれば転記する回数を減らすなどしてミスを減らします。

 

問題の中で複数回出てくる勘定科目(現金預金、売掛金など)についてはT勘定を使って集計しますが、それ以外の勘定科目については問題用紙の前T/Bに直接書き込んだり、直接解答用紙に答えを記入するようにします。これで転記によるミスを減らせますし、問題を解く時間を短縮することができます。

 

このようにそれぞれの理由について対策を練ったらテストを計算だけ解き直します。この作業を繰り返すことで自分にとって一番効率の良い計算の解き方が身についてきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

急性骨髄性白血病との闘い(1) 発病

 

ブログをご覧下さりありがとうございます。

 

皆さんが白血病と聞くと、もう治らない『不治の病』と考える人もいると思いますが、医療の進歩と骨髄移植治療に協力するドナーさんの登録者数の増加により治癒が可能な病となっています。

 

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私は18歳のときに急性骨髄性白血病M4を患いました。今、私は33歳で一般の方とほとんど変わらない生活をしております。仕事をしてますし、趣味でパチンコをしたりと体の不自由はありません。 

 

このブログが現在、急性骨髄性白血病で苦しんでいる方の不安の解消に繋がればと思って書いています。当時の記憶を辿りながらお伝えしたいと思います。

 

発病

私が急性骨髄性白血病を発病したのは高校生の時でした。最初に体の異変を感じたのは高校2年の2月の通学のときです。高校へ行くときは電車を利用していたのですが、その日は電車の乗車時間に遅れそうだったので駅まで全力で走って向かいました。

 

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なんとか電車に間に合い乗車できたのですが、電車が駅を出発した直後に視界が真っ白になり意識を失いかかるような症状が起こりました。今までこのような症状を経験したことはなかったのですが、このとき私はただの寝不足の影響ぐらいにしか考えていませんでした。

 

その数日後、高温の熱がでてインフルエンザかもしれないと思ったので地元の病院へ行きました。診察の結果ただの風邪と診断を受けたため、風邪薬を処方してもらい自宅で静養し2、3日で熱は下がりました。

 

しかし、その風邪が治った頃から家の階段を上っただけで息があがったり、歯磨きをすると歯茎から出血する症状が起こり始めました。それでも私は息があがるのは運動不足のせいで、歯磨きの出血は歯ブラシで強い磨き過ぎたぐらいにしか思っていませんでした。

 

他にも、足の太ももに点状出血が複数生じる症状や夜に目覚めると大量の寝汗をかく症状が起こるようになりました。

 

その後、私は高校3年に進級し、大学受験へ向けて勉強を頑張ろうと気合を入れたすぐ後の事でした。いつも通り学校へ行く準備をしていると母が私に「病院に行ったほうがいいんじゃない?」と聞いてきました。私が「どうして?」と聞くと私の顔の血色が良くないと言うのです。

 

私は特に体調が悪いとは感じていなかったのですが母に半ば強引に連れられて病院へ行くことになりました。その病院は地元から少し離れた中規模の病院で、内科の診察の際は採血の検査をしてくれます。

 

病院に着き受付を済ませた後に体温を計っておくように看護師さんから指示があったので体温を測ると37.5℃の微熱がありました。私自身そんなにだるさを感じているわけではなかったので、そのときはあまり気にしてはいませんでした。

 

その後医師による診察と採血の検査を済ませ、採血の検査結果を母と待合室で待っていました。しばらくして看護師から診察室に入るように呼ばれたのですが、「保護者の方も一緒に診察室にお願いします。」と言われました。

 

そのとき、もしかしたら採血の結果に異常があったのかもしれないと思い不安な気持ちになりました。私の頭にすぐ浮かんだ病気は糖尿病でした。当時私は肥満体型(100kgを超えていました。現在は70kgぐらいです。)であったためその可能性を考えました。

 

不安な気持ちのまま診察室に入り医師から椅子に座るように促されました。その医師は険しそうな顔でPCに写し出された私の採血の結果を眺めながらその説明を始めました。説明内容は白血球の値が異常に高いこと、他に血色素、血小板の値が異常に低いこと等でした。

 

説明している医師も明らかに動揺しているように見えました。最後にその医師から「はっきりとは言えませんが白血病の疑いがあります。」と告げられ、私は一体何が起こっているのか分からず頭がパニックになりました。

 

緊急性を要するとのことで、直ちに大きな病院に診てもらうようにと医師から紹介状を渡され紹介された総合病院へ向かいました。今でも私は総合病院に向かう車中で死に対する強い恐怖を抱いていたことを覚えています。

 

紹介された総合病院に着くと直ぐに処置室に通されてベットに横になりました。私はそこで骨髄穿刺という検査を受けました。その検査は胸骨又は腰骨に針を刺し採血を行います。

 

検査の際、局所麻酔は行いますが骨の中は麻酔が効かないため針が骨に達したときは鋭い痛みが生じます。それに加えて、血液を吸引する際にも痛みが生じます。ちなみに、その検査をしてくれた医師が私の主治医であり現在もとてもお世話になっています。 

 

その夜、私と両親は主医師から骨髄穿刺の検査の診断結果を聞きました。そして、主医師からは急性骨髄性白血病であることを告げられました。もしかしたら白血病とは異なる別の病気かもしれないと淡い期待を抱いていましたが、主医師から病名を告知されその期待が見事に裏切られました。

 

医師からは今後の治療方針や治療によるリスクの説明を受けましたが、そのとき私は本当にこれが現実なのかと疑うほどショックを受けていました。いつまで生きられるのか?1ヶ月後、1年後に自分はこの世に存在しているのか?そんなことばかり頭の中で考えていました。

 

しかし、病気の説明が終わった後に主医師が「一緒に病気を治していきましょう。」と言ってくれたとき、私はこの病気は治る病気なんだ‼︎と希望の光が見え、前向きに治療を受けることを決心しました。

 

もし、その日に病院へ行かずいつも通り学校へ行っていたら今の自分はなかったかもしれません。私の異変に気付いてくれた母にはとても感謝しています。

 

次回は入院してから退院するまでについて記したいと思います。急性骨髄性白血病との闘い(2) 入院・治療 - peitanyan’s diary