急性骨髄性白血病との闘い(1) 発病

 

ブログをご覧下さりありがとうございます。

 

皆さんが白血病と聞くと、もう治らない『不治の病』と考える人もいると思いますが、医療の進歩と骨髄移植治療に協力するドナーさんの登録者数の増加により治癒が可能な病となっています。

 

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私は18歳のときに急性骨髄性白血病M4を患いました。今、私は33歳で一般の方とほとんど変わらない生活をしております。仕事をしてますし、趣味でパチンコをしたりと体の不自由はありません。 

 

このブログが現在、急性骨髄性白血病で苦しんでいる方の不安の解消に繋がればと思って書いています。当時の記憶を辿りながらお伝えしたいと思います。

 

発病

私が急性骨髄性白血病を発病したのは高校生の時でした。最初に体の異変を感じたのは高校2年の2月の通学のときです。高校へ行くときは電車を利用していたのですが、その日は電車の乗車時間に遅れそうだったので駅まで全力で走って向かいました。

 

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なんとか電車に間に合い乗車できたのですが、電車が駅を出発した直後に視界が真っ白になり意識を失いかかるような症状が起こりました。今までこのような症状を経験したことはなかったのですが、このとき私はただの寝不足の影響ぐらいにしか考えていませんでした。

 

その数日後、高温の熱がでてインフルエンザかもしれないと思ったので地元の病院へ行きました。診察の結果ただの風邪と診断を受けたため、風邪薬を処方してもらい自宅で静養し2、3日で熱は下がりました。

 

しかし、その風邪が治った頃から家の階段を上っただけで息があがったり、歯磨きをすると歯茎から出血する症状が起こり始めました。それでも私は息があがるのは運動不足のせいで、歯磨きの出血は歯ブラシで強い磨き過ぎたぐらいにしか思っていませんでした。

 

他にも、足の太ももに点状出血が複数生じる症状や夜に目覚めると大量の寝汗をかく症状が起こるようになりました。

 

その後、私は高校3年に進級し、大学受験へ向けて勉強を頑張ろうと気合を入れたすぐ後の事でした。いつも通り学校へ行く準備をしていると母が私に「病院に行ったほうがいいんじゃない?」と聞いてきました。私が「どうして?」と聞くと私の顔の血色が良くないと言うのです。

 

私は特に体調が悪いとは感じていなかったのですが母に半ば強引に連れられて病院へ行くことになりました。その病院は地元から少し離れた中規模の病院で、内科の診察の際は採血の検査をしてくれます。

 

病院に着き受付を済ませた後に体温を計っておくように看護師さんから指示があったので体温を測ると37.5℃の微熱がありました。私自身そんなにだるさを感じているわけではなかったので、そのときはあまり気にしてはいませんでした。

 

その後医師による診察と採血の検査を済ませ、採血の検査結果を母と待合室で待っていました。しばらくして看護師から診察室に入るように呼ばれたのですが、「保護者の方も一緒に診察室にお願いします。」と言われました。

 

そのとき、もしかしたら採血の結果に異常があったのかもしれないと思い不安な気持ちになりました。私の頭にすぐ浮かんだ病気は糖尿病でした。当時私は肥満体型(100kgを超えていました。現在は70kgぐらいです。)であったためその可能性を考えました。

 

不安な気持ちのまま診察室に入り医師から椅子に座るように促されました。その医師は険しそうな顔でPCに写し出された私の採血の結果を眺めながらその説明を始めました。説明内容は白血球の値が異常に高いこと、他に血色素、血小板の値が異常に低いこと等でした。

 

説明している医師も明らかに動揺しているように見えました。最後にその医師から「はっきりとは言えませんが白血病の疑いがあります。」と告げられ、私は一体何が起こっているのか分からず頭がパニックになりました。

 

緊急性を要するとのことで、直ちに大きな病院に診てもらうようにと医師から紹介状を渡され紹介された総合病院へ向かいました。今でも私は総合病院に向かう車中で死に対する強い恐怖を抱いていたことを覚えています。

 

紹介された総合病院に着くと直ぐに処置室に通されてベットに横になりました。私はそこで骨髄穿刺という検査を受けました。その検査は胸骨又は腰骨に針を刺し採血を行います。

 

検査の際、局所麻酔は行いますが骨の中は麻酔が効かないため針が骨に達したときは鋭い痛みが生じます。それに加えて、血液を吸引する際にも痛みが生じます。ちなみに、その検査をしてくれた医師が私の主治医であり現在もとてもお世話になっています。 

 

その夜、私と両親は主医師から骨髄穿刺の検査の診断結果を聞きました。そして、主医師からは急性骨髄性白血病であることを告げられました。もしかしたら白血病とは異なる別の病気かもしれないと淡い期待を抱いていましたが、主医師から病名を告知されその期待が見事に裏切られました。

 

医師からは今後の治療方針や治療によるリスクの説明を受けましたが、そのとき私は本当にこれが現実なのかと疑うほどショックを受けていました。いつまで生きられるのか?1ヶ月後、1年後に自分はこの世に存在しているのか?そんなことばかり頭の中で考えていました。

 

しかし、病気の説明が終わった後に主医師が「一緒に病気を治していきましょう。」と言ってくれたとき、私はこの病気は治る病気なんだ‼︎と希望の光が見え、前向きに治療を受けることを決心しました。

 

もし、その日に病院へ行かずいつも通り学校へ行っていたら今の自分はなかったかもしれません。私の異変に気付いてくれた母にはとても感謝しています。

 

次回は入院してから退院するまでについて記したいと思います。急性骨髄性白血病との闘い(2) 入院・治療 - peitanyan’s diary